こねないパンのはなし

こねないパン作りを週1ペースではじめて、4回くらい焼きました。気温とか発酵時間がまちまちなので、焼け具合がその都度ちがうのですが、それもまた楽しいものですね。

イースト臭は温度が高くて短時間で発酵がすすんでしまう時に強いような気がして、発酵がゆっくりだとそんなに強くない気がしました。なので気温が高い時期には冷蔵庫などに入れて時間をかけて発酵させるとよいのかな、などと考えています。

 

先日、どうしてだか朝起きてすぐにふと思ったことがあります。それは、たとえば一カ月前の今日とくらべて、自分の内面が一ミリでも成長していたらすごいのでは、ということです。

そして生きるよろこびというのは、極端にいえば、成長することに尽きるのではと思ったのです。

そう考えると、たとえばパン焼きひとつでも、うまくいったり失敗したり忘れたりしながらも、回数を重ねることである程度コツをつかんだり、気軽に焼けるようになったりは、すると思うのです。なんでもいいので、興味を持ったことは、やってみると、そのうち自分のよろこびにつながるのかもしれないなあと思います。

 

さんぽのはなし

先週末は、曽我丘陵を歩いてきました。ジャスパー君と行くハイキング、第2弾です。ちなみにジャスパー君というのは靴のことです。

道はすべて舗装されているので、トレッキングシューズは必要ないという情報もありましたが、実際歩いてみたら、一部の登り坂や下り坂の勾配がかなり急だったので、ジャスパー君がとても役立ちました。

よく晴れた空と、富士山と、みかん山の風景が美しく、気持ちのよい道がずっと続いていました。あまりにもみかんがなっている中をずっと歩いていくので、なんというか、もうみかんランドといった感じでした。みかん畑には、倉庫なのでしょうか、わたし1人くらいなら住めそうな小屋がたくさんありました。果実がたわわに実り、みかんランドはなんとも豊かな夢の国でした。

 

山の上のほうでみかんが一袋¥100の無人販売で売っていたのですが、小銭がなく買えませんでした。もちろんPayPayなども使えませんので、山を歩くときにはキャッシュが必要だなと思いました。しかしその後登り下りの急勾配に苦しんだので、余計な荷物がなくてよかったかもしれません。結局山の下にも販売所があり、B級品のみかんやキウイなどを買うことができました。

 

 

 

 

イベントのはなし

なるべく3日は空けずにブログを書きたいと思っていたのですが、あいてしまいました。なにかを続けるということはなかなかたいへんなことです。こまめに更新されている方は、すごいなあと思います。

そして更新をさぼると、アクセス数が如実に落ちることもわかりました。去る者は日々にうとしというやつですね。ブログを始めてまだ日が浅いので、インターネットの世界ならではの、いろいろな感覚というものがあるようだなあと、かなり時代遅れながら最近になって気付くことがあります。まずスピード感みたいなものがたぶん全然ちがうような気がします。あと、参加と不参加みたいなものの敷居が低く、やりたければぱっと参加でき、やめたければ簡単に出ていける。そういう世界なんだなあと、今さらながら感じているとところです。

 

さて話は変わりますが、先日久しぶり?にまたちょっとしたライブありの小さなイベントに参加してきました。参加?というかふらっと立ち寄って、1時間ほどそのスペースにおじゃましていただけなのですが、このふらっと訪れることができ、親しく話すまでには到らないがなんとなくよくお見かけする方もいたり、拒まれてはいないようだが適度に放っておかれている、といった状況が、妙に居心地がよく、わたしには合っているのかもしれません。どこかインターネットの世界にも似ているところがあるかもしれません。

この日はとてもかわいくておしゃれなスパイスカレーやさんが来ていて、行く前にやまと豚の味付けレバーでがっつり白飯を食べてきてしまったことが大変悔やまれました。

ライブは、ギターの弾きがたりというのでしょうか、ギターを弾きながら歌うやつで、わたしの好みであったばかりか、選曲もどストライクで、来てよかったなあとしみじみ思いました。

日によっては混んでいたりすこし入りづらい時もあるのですが、またときどき覗いてみたいなあと楽しみにしています。

 

 

すっきりしないはなし

ライ麦パンのことを最近あまり書いていませんでしたが、たまに機会があると買って食べています。このあいだ売り場のポップに書いてあって、はっと気付いたのですが、ライ麦パンは便秘にとても効果があるそうで、たしかにライ麦パンを食べた日は、お通じがとてもよく、おなかがすっきりするのです。大変どうでもよい話ですが、わたしは普段からあまり便秘で悩むことはないのですが、ライ麦パンを食べるときに、よくヨーグルトもいっしょに食べているせいか、たしかにするすると気持ちよいほどの感覚がある気がします。

 

さてお腹はすっきりさせるに越したことはありませんが、実際に日々じぶんを取り巻いている状況というのは、なかなかすっきりしないものです。

どこかで「すっきりした状況」「悩まなくてもよい状況」というものを求めて、現実とのギャップに苦しんでいるようにも思います。

しかし考えてみると、今までの50年足らずの人生において、はたして「すっきりと」していたことなんてあったのかしらということです。いつだってその渦中にいたときは、もやもやと悩みを抱えていて、そこから抜け出そうとして、前に進んできたのではなかったでしょうか。

毎日毎日、これでいいのかな?と迷いながら、自分の頭で考えて、判断しながら、自分の思うところをやる。

その繰り返しだと。

楽な道というのは、ない。

でもそれで大丈夫。

ふだんは水の中に潜っているけれども、たまにふっと水面から顔を出して息できた、みたいなことってあります。そんな時に感じたことがあったので、自分のために書き留めてみました。また潜るとわからなくなっちゃったりするので。

 

 

 

 

 

 

こねないパンのはなし

最近挑戦しはじめた、週1回のこねないパンづくりですが、第2回目にしてすでに朝からパンのことをすっかり忘れていたのでおどろきました。

計画としては、朝こねて、家を出入りする合間に発酵の具合をみて、成型したり二次発酵させて、夜に焼く、という筋書きでした。ところがその日はパンのことを思い出したのが昼だったので、昼ごろあわてて材料をまぜ(5分もかからず)、放置して出かけました。6時頃帰ってきたらあんまりふくらんでおらず、混ぜ方が雑でさわったら塊のようなものもあり、こりゃだめかなーと思ったのですが、とりあえずまるめて成型し、ホットカーペットの上においておきました。すると8時ごろにはなんとか膨れてきて、いけそうだったので、焼いてみたところ、ちゃんとパンができました。

インスタントドライイーストさまさまといった感がありました。

こんなふうに気楽に焼けるのはうれしく、パンが焼ける匂いとかも、一種のアロマ効果があるように思います。こねないパンづくり、また挑戦してみたいなあと思います。

 

 

鍋のはなし

メスティン炊飯とスパイスカレー作りを、夏のあいだかなり楽しんでいました。手軽に手に入る範囲で、それなりにいろいろな材料で作ってみたのですが、やっぱりフレッシュな旬のトマトを入れて作ったときが、とってもおいしかったなあと印象に残っています。

寒くなってきたので、冬はメスティンで鍋を楽しんでみようかなと考えています。すでに一度やってみたのですが、もやしや葉物といったどちらかというと地味なアイテムも、メスティンにもりもりと積み上げると、なかなか絵になるようでした。スープには、ミツカンのごま豆乳鍋のもとの小分けタイプを使用してみました。大きな鍋で料理する場合、たいてい調味料をケチって、水分や具材を規定の1.5倍くらいは入れてしまうのが常なのですが、メスティンにはそんなに入らないので、味が薄まりすぎることなく、〆の雑炊までおいしくいただくことができました。

ほかの具材やスープも試してみたりして、いろいろ楽しみたいです。

 

 

 

念仏のはなし

いま、ヤクルト1000という商品がとても売れているそうですね。このあいだ、睡眠について書いたら、今までからするとありえないくらいたくさんの方が読んでくださっていて、どうしてだろうと思っていたのですが、睡眠についての関心がいまとても高いということなのか、と今の時代を身にしみて感じるようでした。

わたしはツイッターで、一時期、「名言bot」みたいな、どちらかというと自分を戒めるような、そうしたコンテンツに関心を持って読んでいたことがありました。最近関心を持っているのは、「お気楽カウンセラー」とか、「幸せ引き寄せカウンセラー」とかいう方々が発信している、妙に前向きなメッセージです。「今日からよいことがどんどん起きます」だとか「心配する必要は一切なく、すべて大丈夫です」だとか、かなりあやしいのですが、たしかに、これから何が起きるのかということは誰にもわからないし、自分しだいでもあるのですから、よけいな心配ばかりしているよりは前向きな気持ちでいたほうが、パフォーマンスは良いように思えます。なので、「読んだ瞬間から運気が上がる」とかいうのも全くの出鱈目でもないような気がします。そういうわけでわりと気に入っています。

こうしたツイッターを読んでいて、ふと親鸞さんのことを思い出しました。たしか、ざっくり言うと「念仏を唱えれば誰でも極楽へ行ける」といった内容の教えを広めたかただったのではないでしょうか。お気楽カウンセラーさんのメッセージは、一種の念仏みたいなものなのかもしれませんね。まあちょっとちがうかもしれませんけど。