愛と孤独について

少しあいてしまいました。

そして重めなタイトルとなっております。

さらに、逃避、執着なども、最近よく考えるテーマです。

 

愛情というものは、いつのまにか心のなかにあって、ふとしたときに気づいて、じんわりあったかくなる。そのようなものではないでしょうか。

愛というのは、求めるものではなく、既に自分のなかにあるものだと、いつかどこかで読んだことがありますが、ほんとうにそうだなあと思います。

もし、誰かに愛を打ち明けることがあるとするならば、そこには多少なりとも、相手からの何らかの反応(共感、共有といったもの)を、求めるきもちがあるように思います。(ただ、それは別に悪いことではなく、そこから何かが生まれることもあるように思います。)

 

では、もし、誰にも打ち明けず、自分の心の中だけに愛情をとどめておくとしたら。ずいぶんと孤独なのではないか。わたしは、孤独への恐れを、感じずにはおれません。

 

しかし、孤独というものは、結局のところ、避けては通れないものだということも、最近分かってきました。孤独は前提だ、と谷川俊太郎さんも言っていたような気がします。

 

孤独を受け入れ、孤独と向き合い、孤独を楽しむことができたとしたら。そのとき、純粋な愛情に、わたしの心は満たされるのでしょう。

一方で、それは一種の逃避ではないか。そのような気もします。傷つくことや、失敗をおそれて、自分の殻にこもるようなイメージは、今までの私としては、不本意な気もしました。

逃避や、孤独についてのとらえかたを、すこし、プラスの方向に変えていく。

殻にこもるのではない、開かれた孤独。チャレンジ精神のある逃避。

なんじゃそりゃ。という気がします。

しかし、そういうものがあるとしたら。また、新しい道が開けるのではないか。具体的には、どんなあり方なのか。考えていきたいと思います。