言葉のはなし

用があって駅の近くの郵便局へ行ったときに、ふと思いつきで、今まで入ったことのなかったカフェに入ってみました。このあたりにしては少し価格が高めなのですが、ていねいに淹れてくれたコーヒーは熱々でおいしく、お店もすいていて、とてもリラックスできたので、よかったなあと思いました。

思い切ってお店に入るときにちらと頭に浮かんだのは、少しまえにたまたま図書館で見かけた堀江貴文さんの本のタイトルで、「有り金は全部つかえ」みたいな言葉です。それから夏セールで靴をポチったときにも、この言葉が浮かびました。おそらく堀江さんの言葉はこうしたみみっちい場面で使う類いのものではないと思いますが、とてもオリジナルでインパクトがあり、人を動かす力をもった言葉だなあと思いました。「顔が見える野菜」というのはありますが、「顔が見える言葉」というのはそんなにないな、と思います。

 

言葉といえば、最近思うことですが、考えていることをそのまま言葉にして表現できる人というのは意外に少ないのではないかということです。職場の先輩で、「一口大」を「刻み」(大きさが違う)、「おたま」を「しゃもじ」、などと言う方がいて、たいへんややこしいのですが、慣れてくると変換して理解できます。というのは極端な例ですが、ありがとうがすみませんになる人もいるし、自分の非に気づくと逆に相手を責めてしまったり、べつに悪く思っていないのにその場の雰囲気で悪口を言ったり。よくあることではないでしょうか。言葉そのものよりも、その背後にある思いを感じとる、ということが時には必要なのかな。

それから、問いかけに対して答えが返ってくる、というのもなかなかまれなことなのかな、と最近思います。自分も含めですが、たいていの人は、自分が言いたいことを言うことしかできないのかもしれません。そして、答えは、自分でみつけるものなのかもしれません。