揚げパンのはなし

3月になりましたね。年度末になると、小学校では給食の人気メニューが発表されるのですが、毎年不動の1位に輝いているのが、揚げパンです。私が小学生の頃もたしかそうだった気がするので、もうこれは永久に1位なのではないかという気がします。

人気は変わらないものの、揚げパンじたいは、子どもたちの好みを反映して、シナモンシュガー味、ココアシュガー味などがあったり、形もコッペパンだけでなく、ねじりパンであったりなど、昔と全く変わらないわけではないようです。

最近新聞で見かけて、気になっていた言葉で

「不易流行」というのがあり、意味を調べると、「変わらないものと、変化してゆくものが同一である」というようなことらしいのですが、意味をよくつかめずにいました。

それが、揚げパンのことを考えていたときに、ふと、不易流行を具体的なものでイメージすると、揚げパンのようなものかもしれない、と思いついたのです。

ものを考えたり、なにかを判断するときのヒントとして、揚げパンのイメージを持っておいても悪くないような気がしました。

 

最近、方丈記の冒頭に感動したということを書きましたが、すべてのものが川の水のように流れてやがて消えてしまうと考えると、たとえば試合に勝つか負けるか、といったことは、意味がなくなり、すべてが虚しくやる気がなくなるような気もしました(スラムダンクを同時期に読んだものでそんなことを思った)。でも逆にどっちにしろ最後には消えてしまうのであれば、負けたり失敗することを恐れることもなく、思いのままに勝負に挑むことができる、というふうにとらえることもできます。

失敗したら、それは水に流して、また次から次へとふりかかってくる課題に向き合ってゆく。うまくいっても、いかなくても、生きている限り、日々なにかしら問題が出てくるような気がするので、それに向かっていくということなのかなあと思います。そのたびに、柔軟に変化してゆくけれども、そこには変わらない自分というものも、やっぱりあるような気がするのですが、どうなんでしょうか。