ホームルームのはなし

他人の子どもの話、というのは得てしておもしろくない場合があるので、あまり書かないようにしているのですが、ねたを切らしているためまた少し子どもがらみの話になります。

先日小6の娘がもらってきたクラス通信に、クラスのためにできることはなにか、みんなで考えたこととか、人がどんなことをしたら嫌がるか考えて、そういうことはしないようにしようと話し合ったことについて書かれていました。読んでいるだけで、なにか澄み切った美しいものが目に浮かぶようで、若干衝撃を受けました。

 

しかし、実際、自分のいる組織のためになにができるのか、ということを常に念頭において、働いているおとなというのは、残念ながらあまりいないようにも思います。いるとしても、空回りしていたり。それからもし、その人が一つの組織にどっぷり浸かっていて、そんなことを考えていたら、ちょっと病んでしまうような気もします。

それから、誰かが嫌がることをしようという気持ちはなくても、傷つけてしまったり、傷つくこともあり。誰かのいごこちがよいということは、誰かのいごこちが良くないということでもある、ということもあります。

そういうわけで、なにかしらの組織の一員となり、人と関わる、ということは、なかなか難しい面があるようにも思います。

 

そんな中で、わたしが考えたことは、人間関係で、傷ついたり傷付けてしまったり、まちがえてしまったり、したら、十分に後ろを向いてくよくよしたり、反省したり、後悔したり、するけれども、失敗は避けられなかったこととして、受けとめて、まあ失敗だったかもしれないけど、最終的には前を向くこと。

それからできれば、ひとつではなくて、いくつかの組織に関わって、自分というものをすこし多面的にしておくこと。

 

そのうえで、自分のいる組織のためになにができるのかとか、人が嫌がることをしないようにしようとか、考えて行動すると、いいのかなあ。などと、プリントを読んで、ひとり脳内ホームルームを開催していました。